AKT創業物語②

AKT創業物語②

前回のAKT創業物語①に続きAKT創業物語②です。

どのようにAKTができたか。

少しづつその秘密を紐解いていきましょう。


-パチスロ・渋谷ナンパ師時代-

サイト運営でそれなりにお金が稼げるようになったとともに、テニサーで知り合ったエハマ君にスロットを教わり、徹底的に店や台の調査・研究をして毎日スロットに入り浸って稼いでました。

地元のパチ屋では同級生が店員で働いていたので、イヒョウを突いた悪だくみシステムを考えてかなりおいしい思いをさせてもらいました(ここには書けないよ~笑)

そんな中ある日、大学をさぼってスロットしてたエハマ君とナンパしに行くことになりました。

そして渋谷に行ってナンパをしようと思ったのですが、ナンパ素人の二人は全然ナンパできず一日中立ち尽くしてました。

「あの子かわい~」「かわいい子きた~」ってくっちゃべるだけで、終始お地蔵さんでした。

しばらくそんなびびってナンパをできない日々を過ごしていたのですが、ある日ナオシゲさんというナンパの師匠に出会いました。

ナオシゲさんは当時30歳でナンパ歴は10年以上、関東圏のナンパスポットやクラブ・祭り・学際などナンパイベントは知り尽くしてるベテランでした。

そしてイケメン。

当時、声をかけるのもビビってた自分はすかさず弟子入りして、ナンパを伝授してもらいました。

一度、コンビナンパでナンパの声掛け方法を学び、ナンパに慣れてくると、やればできる子の自分はそこから怒涛の如く伸びていきました。

一日100人以上に声を掛け、1日5人~10人の連絡先を聞き、月200人前後女性と仲良くなるのを目標に頑張ってました。

数打ちゃ当たる戦法です。当時は、10代で学もお金もあってカッコイイ自分最強!って謎な自信で、なんの悪気もなく攻めまくってました恥



今回はここまで。

思いついた昔話をAKT創業までちょっとずつ書いていきます。


続き→AKT創業物語③





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